死人にブログは書けない。

死人にブログは書けない。もしも、死人が書いたブログがあるなら見せてほしい。ブログ、コラム、Twitter、人が自分の人生の経験を晒すことが多いツールであり、その中で〇〇があって大変だったけれど今は充実しているという内容をよく目にする。なるほど、参考になるなと、同一人物の別の記事を見ると、「おやおや…なんか雲行きが怪しくなってきたな」と言いたくなることもある。あくまで充実してるとか、辛いとかいうのはその記事を書いてる段階であり、その後どうなってるかはわからないのである。そして個人運営のブログというのはその後どうなったかをわざわざ伝えないことも少なくない。すごく無責任な話であるがその無責任さこそブログやSNSが世間に受け入れられたきっかけなのかもしれない。

さて、そう考えると参考になる記事は誰が書いたものなのだろうかという疑問が生まれる。そこで出てくるのが“死人が書いた記事”だ。人生というゲームをクリアした人間が書いたほうがある程度参考になるだろうな、と思うんだけど現実的ではない。なぜなら死人にブログは書けないからだ。死後の世界があるのかもわからん、多分ないと思うけど。仮にあってもどうやらインターネットに接続できる世界ではなさそうだ。死人と交流ができたなら「俺これで死んだぞ」という生々しい忠告が聞けるようになるから便利だなとは思う。

昔、自転車のヘルメットを買おうと思ったとき、Amazonの安くて評価高いやつを買おうとした。そしたら友達が「死んだら低評価つけれないからな」と言ってたのを聞いて以来死者がネットでカキコできたら便利だなと思うようになった。

流石に現実的ではないな。そうすると今度は定年を迎えた方々が指標になるはずだけれど、やはり高齢者の方々はネット環境からある程度離れた生活をしているようで(少なくとも発信者になるケースは少ない気がする)せいぜいイデオロギーバリバリの記事くらいしか出てこないように思える。

するとどうだろう、インターネット上にある情報というのは信用に足るものなのだろうか?作品を途中までしか見てない人間に「この作品面白いよ」と言われて手に取るだろうか?それと同じことなのではないか。